それからと、これから。

 

 

あの日、
雪と同じ温度になるまで、
ずっとずっと冷たくなるまで、そこで眠るつもりでした。
本当にたくさんの人のあたたかさで、今、自分の命が息をしているんだと思うと、寒い北国にいても、じんわりと体が温かくなっていくんです。

本当に本当に、ごめんなさい。
最後まで、いろんなことに気付けなかった自分の未熟さ、幼稚さが今は恥ずかしく、気付くに至るまで、たくさんの人の悲しみと寂しさを、糧としてしまったことを、深く反省しています。
本当にごめんなさい。


たくさんの人の優しさにも思いやりにも、愛情にも触れて尚、自分の中で拭いきれない何かがあり、また、何も満たされない場所があり、形容し難い心持ちで最期の一週間を過ごしていました。
終わることでしか助からないと思っていたあの時、振り返れば、1年を通して"生きる"ということに追いかけられていて、ひたすらに疲れきっていたんだなと、ゆっくりとした時間を過ごせている今、考えています。

 


救助されて病院へ運ばれ、最初の一週間は保護室という場所に隔離されていました。
室内にはベッドと小さな窓、それに申し訳程度のついたてと、トイレの便器がそのままで設置されていて、持ち込めるものはトイレットペーパーと病院が用意した飲み物のみ。
24時間監視カメラが起動している部屋です。

初日はひたすらに時間が流れるのを待って、2日目はいつになったら出られるのか、早く誰かと連絡を取りたいと、考えていました。

3日目になって、寂しさが募りました。
その時になって初めて、自分の与えた寂しさがどれだけのものなのか、推し量ることが出来たんです。
自分でも遅すぎると思いました。
誰にも会えず、誰とも話せず、誰にも生きてるよと言えない寂しさ。自分のしたことの愚かさに、ようやく気付けた時でした。

入院時、担当の医師が、「自分がしたことの責任とは何かを考えてください」と言っていたことの意味が、少しだけわかった時でもありました。


最後の更新で、自分は"大事にされていることも理解出来ている"と書いていました。
"恵まれている"とも。

その時、理解には程遠く、
そして自分はその恵みに甘えて、大きな間違った選択をしてしまったんだと、今は思えます。

 

怒られ、もしくは呆れられることも覚悟の上で言いますが、今回の選択を、自分は後悔していません。したく、ありません。
これを後悔と言ってしまったが最後、たくさんの人の悲しみも寂しさも、そして無事と知って安堵してくれた気持ちもおかえりと言ってくれる優しさも、全てが軽くなってしまう気がするからです。

全てを心に、それよりもっともっと深い場所へ刻んで、この先ずっと向き合っていかなきゃいけないものだと考えています。

ほとんどのことはきっと変わらず、
けれど小さな変化が、この先大きな兆しとなって、自分の人生を変えていけるものだと、信じています。
今尚、変わらず自分のそばにいてくれる人達がいるからこそ、自分自身のことを信じていけます。
もう、自分は一人では生きていけないです。
この弱さを、心から、嬉しく思います。

自分の周りに溢れているあたたかいものを、ようやく、自分の芯まで、届けられるようになりました。

本当に、ありがとうございます。

 

 


あの日、確かに自分の中の何かが消えてなくなって、
けれど今、生きてきた中で一番、満たされています。

遅すぎるかもしれませんが、生を受けて24年目にして、ようやく、自分の命を生きていける気がしています。


大それたことは出来ません。けど、たくさんの人に救ってもらった命で、よりたくさんの人の気持ちに寄り添っていけたら、今回のことを、またいろんなことに活かしていけたら。その行動で、気持ちで、何か示していけたら。
自分の生を認めてくれた人達への恩返しになることを、これから目一杯模索していきたいです。

もう二度と、同じ事はしません。

 

今平は、
今、生きてます。

生きていきます。