愛される必要

 

 

 

きっかけは友達の相談を(半ば強引に)聞いている時、アドバイスとしてポロっと出た言葉に自分自身戸惑っているのだけど、纏まらなさそうだから書きながら考えてみる。

 

深い仲の友人、いわば親友がなかなか出来ないと嘆いていた彼。裏切られたり、実は良く思われていなかったり、人を見る目が無いのか…はたまたもう自分の人間性が悪いのではと落ち込んでいて、一人で生きていくんだい!!と今にも決心しそうな勢いだった。
それはどうにも寂しいよと、なんとなーく袖を引っ張りたくなって、結果引っ張った。


今平がこんな時に良く言うのは、
・期待をし過ぎない
・自分のペースを乱され過ぎない
・反省しても卑屈にはならない

とかそんなんなんだけど。

期待って自分の未熟さが面白い程アクセルになってしまうし、そこでクラッシュしようものなら期待した分だけダメージが大きいんだよね。時に怒り、時に悲しみ。どうしても心のどこかを抉っていく。


期待に対する何かが自分の思うように返ってこないとペースが乱れて余裕がどんどんすり減っていくし、そうして必要の無い事故を起こしてしまう。
繰り返される反省はやがて自分を責めるものに変わっていき、元の反省の目的を見失う。

そこまで辿り着いて自分の不甲斐なさを憎んだとして、だ

じゃあどうして、そんなに考えてまで誰かに好かれなきゃいけないのか。

 

「誰かに好かれなきゃいけない理由なんて本当は無いかもしれないよ」


と溢してしまった。
わかる?なんか、ねえ。
一人は寂しいよって引き止めたにもかかわらず!思ったことはこんなので、けどなんとなくそうだと思うんだよね…
つまり別物として考えたい。考えて欲しい。

 

 

誰の為に生きていくの?って、きっと突き詰めるとやっぱり人間自分の為に生きるんだよ。自分の人生を豊かに出来るのは自分しかいないし、周りの影響が何であれそれを形作っていくのも自分、選択するのも全部自分。


今平は周りの人が心地よく生きていけたらとても嬉しいけど、それってやっぱり結局自分が嬉しいんだよね。
だから、楽しく生きなくていいんだい!って言われてしまったらどうも出来なくなる。どうしてどうしてとはなると思うけど、望んでもいない幸福を押し付けられたって、それはもう幸福では無くなるからね。
その代わり、楽しく生きたい!って前を向けるなら何が何でもお手伝いしたいと思う。

 

 

話が逸れてしまったけど、誰かに好かれる事に重きを置いてしまうと、ちょっと苦しくないかい?
その人らに好かれて初めて自分の人生が成り立つわけでもない、その人らがいないと自分というものが無くなってしまうわけでもない、なんかもう生まれた瞬間に自分専用の頭も体も持ってるんだから、誰かの好きな自分になるんじゃなくて自分が好きな自分になりたいよね。
そうやって自分というものが満たされていたら、自然と誰かが横にいるんだよ。たぶん。


100人、1000人に認められる生き方よりも、自分を好きになれる生き方をした結果誰か一人でもそれをかっこいい!って思ってくれた方が、何倍も何倍も幸せだと思うんだ。

愛される必要はきっとあんまり無くて、
必要なのは、愛してくれた誰かを大事にすることと、誰かを愛する余裕を持つことだと思う。

 

 

ベクトルの向きってすごく大事。
そしてバランスも。

今平自身まーーーーーだまだそこら辺は浅い考えしか持ててないしお腹空いてこれ以上考えられないからおしまい。


何か考えるキッカケになれば、
そして誰かがステップ踏めれば、意味のあるぼやきになるであろう…

 

もう認められなくたって、好かれなくたって、愛されなくたっていーや!って、自分の好きなことしちゃおうよ。

色々は別問題として置いといて、

誰かの心を傷つけなきゃそれでいいのさ。