今日の日はいつか

 

 

「昔の自分だったら」と思えることは良いことでも悪いことでもある。最近のそう思ってしまう瞬間は、常に寂しさを纏っていた。

昔読み潰した本に積もった埃を撫でて払う時、思い出すのは本の内容と、その頃あった嬉しかったことや嫌なことだったりする。
何が楽しかったのか、何が悲しかったのか、この一節を読んでどう助けられたのか、昔の感情の痕をなぞりながら、過ぎた年月のことを考える。


誰しも、今起こったら違う結末が待っているであろう過去を少なからず持っている。ああしていれば上手くいってた、とか。あと少し我慢出来てたら、あと少しオトナだったら、とか。
それでもその時の精一杯が生んだ未来に生きていることを、今の自分自身がよく知っている。

けれどその未来にいながら、もうその失敗が出来ないことに寂しさを感じられるのは、ある種の贅沢で、又はおこがましさとも呼べるんだろうか。
あの時望んでいた"余裕のある自分"を持て余してしまう瞬間が否応なくあって、一生懸命に何かを掴もうとする気持ちごと何かに塗り替えられてしまった。


悪いことではない、
自分の変化を、まだ自分が受け入れられていないだけ。頭では理解出来ることを、好き勝手に動く感情が受け止めてくれない。

 


何も知らずに走れていた頃を懐かしく思える。色々を知った今の走り方を知らないからだ。
懐かしさに身を浸しながら、新しい走り方を考える必要がある。


昔の自分だったらわからないこと。
未来の先に、また未来があること。


昔の自分だったらわからないこと。
諦めたことにすら気付けないこと。

 

昔の自分に教えてあげたいこと。
見れてよかった、と思えるものがたくさんあること。