春の雨の日

 

 

 

東京に戻ってきてもうすぐで1ヶ月になります。
TPOによっては北海道よりも寒い東京。
暖かくなったと思ったら寒くなって、暖かくなって、また寒くなって。桜も咲き悩むような気候に、人間達も戸惑っていそうな。

今平はもう身を任せてます。

自然と共に在れり、って感じ。

自分の体も自然界の一部であろうと思いを馳せながら、それでも人工物の電車に乗りながら汗かいたりしてる。
乗り物も建物もさ、寒いからって暖房に頼り過ぎるの止めようよ。厚着してんの見越して程々にあっためようよ。
背脂マシマシ逃れたいんだよ。


そんで花粉症の症状もとても酷い。毎日毎日ティッシュ配りのお姉さんにお世話になってます。
あれを受け取らない人は花粉症じゃないんだろうなと、その人の分も貰ってます。気持ちだけ。
常にポッケに3つくらい入ってる。気持ちの分。
汗かくわ鼻水出るわで水分がどんどん奪われてる。こういうところから体調崩すからね、ほんと労っていこうね。

 

 

 


季節って必ず巡ってくるし、逆らえない自然界の理で、人間達は無意識のうちに従いながら、従わされながら、また意識しながら利用しつつ、大きなサイクルの上で暮らしてんだよね。
イロイロを俯瞰的に見つめると面白い、大きな枠の中では何処にも行けないのに、その中の小さな枠の中で頑張って生きてる。
生きてるようで生かされていて、けれどやっぱりその上でしっかり生きてる。

結果生きてるじゃん。って思うけど、生きてるって意識の下に生かされてる思いを持って、でも生きていけてることにも自信を持てたらいいんだよ。たぶん。

 

 


最近はいろんなことがちっぽけに思えたり、くだらなく思えたりして、けど前みたいな無関心とはまた違って、そんな中で大事にしようと思えるものがあると涙が出そうになったりして、自分が何処でどうやって生きているのかわからなくなる。不安にもなる。
生きるってことをどの大きさのフレームに嵌めて見たら丁度良いんだろう、って考えたりして、なんとなくピントの合わない毎日を過ごしてる気がする。自分で自分を捉えきれなくて、生きていく上で大事にしたいことを手離さないように繋ぎ止めるのが精一杯。

地に足をつけていたくて、けどまだ自分はふわふわとどっかを漂ってる。

 

起きて、歩いて、人と関わって、眠りにつく。小さなサイクルが人を育てて、その人というサイクルが生まれる。
そうやって自分の作り出したサイクルが生きて、誰かの一部になると、ちゃんと人間やってんじゃん。ってちょっと誇らしくなったりもする。

どうにかして人と関わりたくて、何かを生み出したい。
人と人の間に生まれたものがまた人を動かすことは最早必然で、何を作り出せるかが、自分の人生において一番大きなテーマなんだろう。

季節も、生も、全ては巡って、逆らえないもの。
けれど逆らえないものがあるという事実が人を安心させて、また新しい道を指し示していくのだと思う。

 

何処にいても、何をしてても、自分達より遥かに大きな理の上に自分達は存在していて、何もかもが最期には無に辿り着く。

自分が消えて無くなることを意識した時、人はやっと自分の命と向き合える。生きていく為に無があるんだと、素直に訪れない春が泣いた気がした。

 

 

そんな日。