例えば雨の日に

 

 

 

2019年も半分終わったなと思ったのも束の間、7月ももう半分が終わってしまって、このまま気付いたら秋が来て冬が来て、あけましておめでとうまでしてるんじゃないかと震えながら過ごしています。
時の流れが速いこと速いこと、速いくせに梅雨はなかなか終わらないのは四季の七不思議なんじゃないかと思う。


この時期は特にだけど、雨を好きだと言える人が羨ましい。
なにせ気圧の変化に馬鹿みたいに弱いせいで、絶好調の頭と体で雨を感じ取ることがなかなか出来ないからだ。

冴えた頭で雨の日を楽しむことをしばらくの夢にしようかな。頭痛にも倦怠感にも襲われず、雨の音でも聴きながらのんびり過ごしてみたい。
雨を素敵だと思う感性も、マイナスに捉えがちな物事をプラスに持っていける見方も心の使い方も、素直に良いことだと思うし、他の人が持ち得ない自分のお気に入りを持てることは、人生を豊かにする秘訣の一つだと思う。

 

誰かと一つの傘で歩くのは好きだし、そんな時に自分の片方の肩だけが濡れるのも嫌じゃない。

 

 

 

 

 

 

 


‪何もかもを許せるようになったら、それは優しさでも器の広さでもなんでもなくて、単に何にも執着も出来ず何にも興味がなくなってしまった証なのではとここ最近思う。‬
昔は全てを許したかったけど、今は自分を捨てない為に許せないことを残しておきたい。

それを許してしまった自分と一緒にいる相手に対して、それは本当の自分だよって胸を張って言えないのであれば少し寂しいことなんじゃないかと思う。

視野を広げることも、相手の考え方を尊重することも大いに大事な事だろう。
けれど自分の拘りを譲り続けて、結果自分を見失っては、生きていくことのなんたるかを放棄してしまうことと同じように感じるのだ。

自分の感情を手放してしまうくらいなら、それにくっついてくる厄介事もまとめて抱えてしまった方が、いつか振り返った時にその思い出が自分の背中を押して、励ましてくれる、そんな気がする。

 

 

 

 

 


大好きな人達には何も間違ってないよと言い続けたい。

選択の無い人生なんてどこにもなくて、
それが間違いか正しいかなんて誰にも、自分にもわからなくて、
ただただ、自分の決めたことに後悔と恥のない歩き方をするしかないのだ。

躓いても、転んでも、
水溜りに足を突っ込もうが、
歩けば進むのさ、とりあえず。


足取りが軽くなることを願って、
空を見上げる余裕が生まれることを願って、

梅雨だってきっともうすぐ明けるでしょう。