花散る先に

 

 

 

朝の街の匂いを胸いっぱいに吸い込んで静かに階段を降りる。ゴミ捨てに出た近所のおじさんから何となく隠れて、駅とは反対方向に足を進める。

 


朝焼けが広がる空に太陽はまだ登っていなかった。静かな街並‪みが日の出を健気に待っているようだった。

 

 

 

 


学校の脇の大きな木には桜の花が咲いていて、今が春だということを教えてくれる。


散る花びらにつられて見上げた先で、自然の強さも逞しさも、美しさもそこにはあった。

変わってしまうものが多々あれど、変わらないものが確かにある。この木もその中の一つであろう。

 

 

 

自分達は変わらないものを求めすぎて、何かが無くなるのを恐れすぎて、いつの間にか忘れてしまったものがたくさんある。

どうして感情が生まれるのか、どうして一人では生きていけないのか、どうして誰かを大事に出来ないのか。

 

傷つくのが怖くて誰かを傷つける人も、満たされない虚しさに慣れてしまった人も、変化の上に今があって、この先にまた変化があることを知っていて欲しい。

 

人と関わっていく上で、誰かを大事にすることもそこに変化があること‪も当たり前で、そして自分が傷つくことも人を傷つけることも、自然の理とも言えるくらいに当たり前のことで。

 


自分と同じ傷を誰かにつけるのか、

同じ傷を持った人を癒すのか、

誰かを傷つけることで自分の傷を癒すのか、

選択肢はたくさんあるけど、人に優しくするのが難しいのであればうんと自分を甘やかしたっていいんだよ、と言ってあげられる人でありたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

公園の中を歩く鳩を見て、花びらの散る木々を見て、不完全でいながらこれらは完全なんだろうなと思った。

あるべき形としてここにあるのであれば、人のあるべき形とはなんなんだろうと考えたけど、わかるはずも無い。

 

自分達はいつまでも不完全で、それでいて完全なんだろうと、その拙さがなによりも愛おしかった。

 

 

 

なんだっていい、自分と誰かがいて、何かを話して、何かを思い合って、そしていつかいなくなる。

最期には何も残せないからこそ、目の前のものを大事にしなくちゃいけないんだろう、

明日があるということは変化ではないのか、

明日がないということは変化なのか。

不確かな毎日の中に確かなものを作り上げていく、その安心感を人は求める。

 

 

 

 

 

 

 

たくさんの変化と向き合って、消化しきれないものがいつか綺麗になくなりますように。

変わっていってしまうことを悲しいと思わないで、恐れないで、その先にあるものがあたたかなものだと信じて。

 


それでも変わってしまうものが怖かったなら、自分は何も変わらずここにいようと思う。