近くのみかんと遠くのレモン

 

最近よくミカンの木を目にするんですよね。
蜜柑。
タイトル含めて3回みかんって打っただけでゲシュタルト崩壊してるので今日は文字打っちゃダメなのかもしれないけど負けずに打ちます。

みかんの木カワイイーってパンケーキにカワイイってブッ放す女子みたいにゆるゆると眺めるんですけど、緑とオレンジのコントラストが純粋に綺麗ですよね。葉の青々しさによく映える色。
先日新宿御苑にお花見に行った時も温室に入りまして、レモンの木見てきました。なんかめちゃくちゃでかいの。
もぎ取られなきゃそのまま育つのかな?って話しながら、ラグビーボールみたいなレモン想像してました。汗臭さがいい具合に緩和できそうだし。試合終わったら相手チームと仲良く半分こしてテキーラでも呷ったらいいよ。みんなハピネス!

 

 

昔住んでた島はレモンが有名な島で、よく転がってました。レモン。青いレモンの島って調べたら出てくるんじゃなかろうか。ちょうど今は四千本桜で賑わってるかもしれない。
三千超えて四千だからね、欲張ったなって思うよね。


尾道の周りにいくつも点在してる島の中に、その島があるんです。船乗らなきゃ行けないけど、自然豊かで時間ものんびりで、あたたかくて、色々回ってきたけどダントツでお気に入りかもしれない。
スーパーは18時に閉まるし、コンビニ無いし、夜中飲み物が欲しくなった島民が自販機に集まるような、ゆるーい島なんです。
イノシシが泳いで他の島から来たりするし、坂道が急で自転車ごと吹っ飛んだりするし(体験談)、とてもいい島。

そこのホテルの料理長が今年電話くれた時に、厨房スタッフ募集してたので興味ある人は是非ご一報下さい。
めちゃくちゃ彼氏力高い料理長です。
優しくて冗談も面白くて船乗せてくれたりします。食料とか心配してくれます、むしろお父さんかな?って錯覚します。いい職場であることは間違いなし。
数ヶ月単位でも大丈夫なので、島で和食作りながらのんびりしたい人は今平へ。
ちなみに社宅は出来立てなのでばちくそに綺麗です。保証します。

あと飯が美味いし、温泉入り放題。
使い道無いからお金貯まるし、
社会とか流行りから遮断される以外はたぶん抜群に条件良いところだと思う…東京に執着してなかったら飛んで行ってた…


人手足りなくて困ってるっぽいので、誰か気になってくれたら今平も嬉しいです。

銭湯に行って来ます。

 

 

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春の雨の日

 

 

 

東京に戻ってきてもうすぐで1ヶ月になります。
TPOによっては北海道よりも寒い東京。
暖かくなったと思ったら寒くなって、暖かくなって、また寒くなって。桜も咲き悩むような気候に、人間達も戸惑っていそうな。

今平はもう身を任せてます。

自然と共に在れり、って感じ。

自分の体も自然界の一部であろうと思いを馳せながら、それでも人工物の電車に乗りながら汗かいたりしてる。
乗り物も建物もさ、寒いからって暖房に頼り過ぎるの止めようよ。厚着してんの見越して程々にあっためようよ。
背脂マシマシ逃れたいんだよ。


そんで花粉症の症状もとても酷い。毎日毎日ティッシュ配りのお姉さんにお世話になってます。
あれを受け取らない人は花粉症じゃないんだろうなと、その人の分も貰ってます。気持ちだけ。
常にポッケに3つくらい入ってる。気持ちの分。
汗かくわ鼻水出るわで水分がどんどん奪われてる。こういうところから体調崩すからね、ほんと労っていこうね。

 

 

 


季節って必ず巡ってくるし、逆らえない自然界の理で、人間達は無意識のうちに従いながら、従わされながら、また意識しながら利用しつつ、大きなサイクルの上で暮らしてんだよね。
イロイロを俯瞰的に見つめると面白い、大きな枠の中では何処にも行けないのに、その中の小さな枠の中で頑張って生きてる。
生きてるようで生かされていて、けれどやっぱりその上でしっかり生きてる。

結果生きてるじゃん。って思うけど、生きてるって意識の下に生かされてる思いを持って、でも生きていけてることにも自信を持てたらいいんだよ。たぶん。

 

 


最近はいろんなことがちっぽけに思えたり、くだらなく思えたりして、けど前みたいな無関心とはまた違って、そんな中で大事にしようと思えるものがあると涙が出そうになったりして、自分が何処でどうやって生きているのかわからなくなる。不安にもなる。
生きるってことをどの大きさのフレームに嵌めて見たら丁度良いんだろう、って考えたりして、なんとなくピントの合わない毎日を過ごしてる気がする。自分で自分を捉えきれなくて、生きていく上で大事にしたいことを手離さないように繋ぎ止めるのが精一杯。

地に足をつけていたくて、けどまだ自分はふわふわとどっかを漂ってる。

 

起きて、歩いて、人と関わって、眠りにつく。小さなサイクルが人を育てて、その人というサイクルが生まれる。
そうやって自分の作り出したサイクルが生きて、誰かの一部になると、ちゃんと人間やってんじゃん。ってちょっと誇らしくなったりもする。

どうにかして人と関わりたくて、何かを生み出したい。
人と人の間に生まれたものがまた人を動かすことは最早必然で、何を作り出せるかが、自分の人生において一番大きなテーマなんだろう。

季節も、生も、全ては巡って、逆らえないもの。
けれど逆らえないものがあるという事実が人を安心させて、また新しい道を指し示していくのだと思う。

 

何処にいても、何をしてても、自分達より遥かに大きな理の上に自分達は存在していて、何もかもが最期には無に辿り着く。

自分が消えて無くなることを意識した時、人はやっと自分の命と向き合える。生きていく為に無があるんだと、素直に訪れない春が泣いた気がした。

 

 

そんな日。

 

 

比べられないもの。

 

 


ここ一年で色々なことへの興味関心が薄れてきているのを感じる。
色々なことがどうでもいいのだ、簡単に言ってしまうと。自分自身でそういう方針を立てたのも少しあるが、元来の性格がそこに拍車をかけて、昔よりだいぶすっからかんな頭になってしまったように思う。
ただでさえ空っぽだったのに。大問題。

 

何故そうなったかって、
誰かの気持ちを察しすぎない、とか
察してもすぐにポイする、とか
きちんと自分の余裕と向き合ってから相手の気持ちを汲み取っていく、とか
まずは外からの刺激、と言っても自分が勝手に拾いに行ってしまうからある意味内からのとも言えるのかもしれないけれど、今まではガバガバにしてた心の感受する部分を自分の意思で開け閉め出来るように、意識して暮らしたんだよね。
意識するってめちゃくちゃ大事。無意識のものを意識するようにすると、変わるね。変わっちゃう。

 

 

あとは何かを見たり聞いたりして生まれた憤りや嫉妬心を一旦キープしつつ観察して掘り下げていく作業。
付いて回る感情はだいたいが劣等感や羨望感、大体は無意識のうちに比べてしまっているのだ、その何かしらと自分とを。その感情の処理方法を考えていかなければならない。
そしてその感情が生まれてしまう対象への接し方も。


鉢合わせてしまったら、大体は無視したら楽。
そして本当は知りもしなければそれが一番楽なのだ。

どこの世界の、どんな情報でも簡単に手に入ってしまう現代で、比較対象は昔よりも遥かに多くなっている。比べていけばきりのない広い世界で自分の立ち位置を客観視してしまえばそりゃ目も眩むだろう。
自分に必要な情報は何なのか、取捨選択を間違えると途端に潰される。


どうしようも出来ないものがたくさんあるのだ。一番に生まれや育ちは変えられない。環境を変えるには大きな力がいる、お金を手に入れるにしても努力と、そして運も絡む。力を貸してくれる人間もいれば足元を掬ってくるような人間もいる。

図太い芯を持ってして、夢や希望に満ち溢れた心でそこに懸命にぶつかっていける人間ならばきっと頑張っていけるのだろう。そうじゃない人間は同じように比較して頑張ろうと思っても苦しいだけなのだ。

 

どうしようも出来ないことを受け入れられないでいると、自分の向上心がそのまま自分の精神に向かって牙を剥く。
そしてその牙を上手く飼い慣らせている人間を見ると、傷ついてしまった心が疼くのだ。まして如何にも自分よりも頑張っていなさそうな人を見ると余計に、だ。
自分は上手くいかなかった、
あんなに頑張ったのに、
環境も整ってなかった、
人にも恵まれなかった、
なんでこんな奴が、
なんでこんなに不平等なんだ、
膨らんだ嫉妬心と劣等感に潰されて、上どころか前も向けず、自分の足元を見てはまた周りと比べて、俯いたまま歩き続ける。


けれどそこまで考えることが出来ていたら十分なのでは、と思うんだよね。
ここでどうでもよくなってしまえばそれでいい気がする。

自分の世界は自分にしか作れないことを改めて認識してしまえば後は簡単で、広げすぎた世界を少し小さくすればいい。
何段も飛ばして階段を駆け上がれる人なんて一握りもいないのだ。自分の足が今どこに着いているのかを知っているなら、遥か上では無く次の段を見据えればいい。
不必要に上なんて見ずに2段、3段先を見て足を運んでいければそれで十分なのだ。他の人間なんてどうでもいい。

たくさんのお金、やり甲斐のある仕事、綺麗な容姿、素敵な友人に素敵な恋人、素敵な家族。別に無くたっていいんだよ。
今の自分に少しだけ満足して、少しだけ変化を望むくらいがちょうどいい。
みんなどこかで平等に不平等で、遣る瀬の無い気持ちと闘っている。もちろん闘ってない人もいるだろうけど、それこそどうでもいいのだ。


自分に必要なものはいったい何なのか、
周りと比べることを辞めてからもう一度考えた時に、そこにあるのは驚くくらいにシンプルなものだと思う。
何の為に、誰の為に、雑念に塗れた行動は同じく雑念に塗れた世界に溶けていく。
今いる世界が息苦しいと思っているのであれば、一度全て捨ててまっさらな自分と向き合ってみるべきだろう。

 

 

輝いてなきゃいけないなんて誰が決めたのか。自分で思ってる以上に、自分で勝手に決めてしまってるルールというものはたくさんある。


あの人より綺麗じゃなくても、
あの子よりお洒落じゃなくても、
映える料理を食べてなくても、
キラキラした日常を過ごしていなくても、
それでもあなたはきっと素敵なのだから。

自然体のまま笑っていられたら、それこそその輝きは唯一無二のものだと今平は思うよ。

 


世界を恨んでしまったら、作り変えてしまおう。

その力は誰の中にも必ずあるから。

 

 

10年の道

 

 

 

少し前から10年前の自分の写真、をどうのこうの、載せてなんやかんやするのが流行ってるそうで。TLで見かける写真がね、タイムスリップしまくりなんですけども。
ないですよそんなん、
10年前、14,5歳ですから。
ぴちぴちの中学生。
携帯も持ってなければ、遊ぶのも口約束で、部活と勉強と遊ぶのとで、毎日があっという間に過ぎていってましたね。

 

見かけると大体わざわざ引っ張り出してきてどうもご苦労様ですって思いながら静かにミュートするんですけども(FF外の方達)、たまに劇的な変化を遂げてる方も流れてきたりしてね、そっちは感心した後そのまま流しますわ。
というより本来そっちをメインに作られたタグなのではなかろうかと思うんだけど、ハイエナみたいに自己を顕示する場を狙ってるからね、みんなね。私は餌場が違うからこうやって物言っちゃってるんですけども。
ものすごく痩せた方とか、筋肉隆々になった方だとか、垢抜ける前の野暮ったい自分を恐る恐る見せてみたりだとか、時間ってすごいなって、様々と見せつけられますよね。


でもさあ、その中でも三十路過ぎて10年前の写真をポンと出せる人は、やばいよ。たぶん。
今平の中ではやばい。
最近毒吐くの辞めてたんですけど、ここまで来るともう毒とかじゃなく素直にやばい。
ていうかその辺の歳になるとなんか、さも当然かのように出すじゃん?
どっから持ってきたんだよそれ。
iCloudか?2011年リリースだぞ確か。
ガラケーのデータを移したものを大事に大事に取っておいてさあ今だと出して来たんだと思うと、泣ける。何の涙かはわからない。泣ける。

 

写真出す→10年前もカッコ(カワ)いいですねor今の方が好きですor今も昔もカッコ(カワ)いいですね

パターンなんだよもう、プログラミングされてるかのように、見るリプライほぼこれ。言ってるやつらに心は無いのかと。尚更これでなにが満たされるのかと。
ツイドルって、他のツイドルのリプライ欄とか見ないの?あと自分にかわいいかっこいいって言ってくれてるおじさんとか陰キャのリプライ欄見てみ?botか!てなるよ。
頭の作り気になるよね。両者共に。

湯水のように湧き出るその媚びたセリフと、なんかもう逆に虐められてんの?ってくらい滑稽に見えるそれに手を振るツイドル。

そのお立ち台、早く降りないと連れてかれちゃうよ。

二度と戻ってこれないよ。

 

 

 

 

 

 


って、だいぶゲロっちまったんですけど、

 

 

10年。
自分にとっては、ちょうど激動の時代が始まった頃なんじゃないかなと、振り返ってみるとね。
おそらく中学3年生、受験シーズン真っ只中。世はまさに児童相談所時代!!!!
そうです、父親の暴力のおかげで受験校まで担任の車で行くっていうVIPな時期でした。
ちょうど洗面所の窓から通学路が見えたりして、寝間着姿で制服の同級生を見送ってたりしてました。

でも馬鹿だから第一志望落ちたねごめんね先生、滑り止めでキュッと止まれたから許したってや。

 

 


そして今でも思い出せる、所内に同い年の男の子がいて、その子とめちゃんこ仲良くなったこと。一緒に遊んで、飯食って、風呂入って、もう共同生活してたらそりゃ仲良くなりますわな。

自分より早く出所(言い方な)が決まっちゃって、前日の夜滝のように涙を流したこと。
消灯の時間になっても布団でベソベソしてたら、一緒に寝て慰めてくれたこと。
それでも結局次の日の朝ごはんの時間にもベソベソ泣きじゃくってた自分。

 

今でも会いたい気持ちはしっかりあるけど、名前もうろ覚えで、きっと一生会えないんだろうなって、思い出す度に寂しくなります。


どうか強く生きていますように。
他の人よりも向かい風の強かった時を一緒に過ごせて、どれだけ心強かったか。
幸多き人生を歩めますように。

初めてこれは話に出したけど、
言霊が届きますように。

 

 


そしてそこから10年、なんとも落ち着かない人生をひたすらにもうボロ雑巾のように歩んでるわけですけど、
思えば流されて流されて、流されて流されての人生だったんだなと。
流された先で選択して、流されて選択して。
激流の中に飛び込むこともあったけれど、いつも誰かの意思に掴まってたのかもしれないと思った今日この頃です。

誰かの気持ちを汲んで、汲んで、汲んでる間に、自分のしたいことがわからなくなって、
そもそも自分のしたいことも、そんなに無くて、
自分の人生に価値を見出す瞬間が、全くないまま大人になって。

 


つい昨日、友達に叱られたんです。

おまえが勝手にてめぇの人生決められるとおもうなよ

って。(原文まま)
逆にね。なんかね。逆だよね。
こんな人生って言い方をしたから、自分で人生決めつけられるほど人生は小さいもんじゃねえぞって意味なんでしょうな。
その後で

自分の人生自分で作れ

って。この順番じゃなきゃ確かにダメだね。
いろんなことを見抜かれてるようで、半分は考え無しの癖に、ずるいなあって思いました。

 

 

 

自分の思い描いた人生をもう歩めないと悟った時、人はどうするのが一番正しいんでしょう。
ただひたすらに休息でしょうか、
次の人生に向けて、頭をリセットするんでしょうか。

この記事は、一つの区切りとして書いています。

 

 

 

思うに、大事なのは道では無く、
その道を歩く為の力なのではないかと。

最近は不調の無い日が無くて、
ああ体が壊れていってるんだな、と思う毎日です。けど病院にすら行けない。


人を動かすものは気持ちです。
心が死んだら、人はきっと、
もうどこにも行けないのだろうな。

 

 

でも、そうだ、10年前の自分へ

 

海が見たくなったから横浜に来た。

 

って、とりあえずでも言える場所に今いるよ。この後はどこ行くかわかんないけど。びっくりだろう。

日本は広かったぞ、世界はもっと広いみたいだぞ。頑張れ。頑張って今と違う世界線で生きていけ。

しあわせを掴め。

 

 

 

今日の日はいつか

 

 

「昔の自分だったら」と思えることは良いことでも悪いことでもある。最近のそう思ってしまう瞬間は、常に寂しさを纏っていた。

昔読み潰した本に積もった埃を撫でて払う時、思い出すのは本の内容と、その頃あった嬉しかったことや嫌なことだったりする。
何が楽しかったのか、何が悲しかったのか、この一節を読んでどう助けられたのか、昔の感情の痕をなぞりながら、過ぎた年月のことを考える。


誰しも、今起こったら違う結末が待っているであろう過去を少なからず持っている。ああしていれば上手くいってた、とか。あと少し我慢出来てたら、あと少しオトナだったら、とか。
それでもその時の精一杯が生んだ未来に生きていることを、今の自分自身がよく知っている。

けれどその未来にいながら、もうその失敗が出来ないことに寂しさを感じられるのは、ある種の贅沢で、又はおこがましさとも呼べるんだろうか。
あの時望んでいた"余裕のある自分"を持て余してしまう瞬間が否応なくあって、一生懸命に何かを掴もうとする気持ちごと何かに塗り替えられてしまった。


悪いことではない、
自分の変化を、まだ自分が受け入れられていないだけ。頭では理解出来ることを、好き勝手に動く感情が受け止めてくれない。

 


何も知らずに走れていた頃を懐かしく思える。色々を知った今の走り方を知らないからだ。
懐かしさに身を浸しながら、新しい走り方を考える必要がある。


昔の自分だったらわからないこと。
未来の先に、また未来があること。


昔の自分だったらわからないこと。
諦めたことにすら気付けないこと。

 

昔の自分に教えてあげたいこと。
見れてよかった、と思えるものがたくさんあること。

 

 

 

心のバスソルト

 


歩き疲れたし今日は贅沢してやろ!優雅な時間作ろ!って帰りにドラッグストアに寄ってさ、手に取ったのが150円とかのバスソルトに120円くらいのマスク。それはもう天才的な閃きだった。

天才がウキウキでお湯を張ったら熱いのなんので、半分流して半分水入れ直したんだけどこの時点で天才って肩書きはどっかいっちゃうし、虚ろな目で流れていくのも溜まっていくのも見てたよ。虚ろな目+全裸だよ。ここで優雅も消えた。

 

適温になってバスソルト入れてたら、小学校の時に実家で入れてもらってた入浴剤と全く同じ香りで、懐かしいし頭の中駆け抜ける思い出が平和と幸福の象徴でしか無くて思わず泣くところだった。
天才も優雅も消え去って全裸で情緒スライダーに落とされるなんて誰が予想出来ようか!!!

 


けどやっぱりこういうの入れると体の温まり具合が全然違うね、ぬるま湯が好きだから湯船もそんな熱くしないのに、いつもよりポッカポカ。発汗作用が効いてる。

今平の周りでは風邪が大流行してるのでね、みんなも栄養と睡眠をしっかり摂りながら、300円で優雅に体温めよ。
お湯の温度だけね、気をつけような。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近何かをアウトプットしようとする時、いつものように誰に向けて、どの層に向けてアウトプットしたいのかを考えた先で、
そのアウトプットする意味を言わずもがな汲んでくれる(今平的に"だから好きなんじゃ!!!"ってなる)人達のことを思い浮かべてしまって、頭の中でそこまで見えてる+そんな人達がちゃんと視界に居るなら別に吐き出さなくてもいいんじゃないか、とか
けど伝えたい人達や知ってほしい人達、キッカケにしてほしい人達もいたりするわけで、でも宛ててるつもりも無い人達が変な箇所だけ気持ち悪く切り取ってやいのやいの言ってくることもたくさんあるし、また他の人が自分と同じ気持ちをすっと誰かの元へ流してるのを見ると宮迫フェイスで"ええやん…"って応援側に落ち着いちゃったりして、
そうやってなにか色々をプラスマイナスしたものを天秤にかけた結果、自分の中に留めておいてしまってるものが山程あって、その山程の中で何か言おうか、何か問いかけようかってわたわたと探してる内に、最早ガラクタと化した言葉達の中でプシュン…と、働きマンだった脳みそが動かなくなってしまうんですね。
Twitterもブログも下書きは溜まってるのに、発信することに意味を見出せぬまま、言葉と気持ちの鮮度が落ちていって、それに伴う感情も褪せていって、結果なにも!しない。

 

そうこうしてたら年末に引越しやら風邪やらのドタバタがあり(今平も引いてました)、このままだとキャパがオーバーするなと予測しTwitterを半月くらい離れたんですが、やっぱり余計な毒を吸わなくて済むんです。きれいなものも見れなくなるけど、気持ち的にはかなり、穏やかでした。

 

 

 


人の成長を目の当たりにするのが好きで、誰かが人ということの何かに気付いた瞬間を見るのも好きで、誰かが何かに苦悩している瞬間って、所謂原石が磨かれている過程であってとてつもなく美しいものだと思ってるんです。
もちろん本人が前向きであることが前提で、ただ苦しんでるだけの姿を見るのは居た堪れなくなるけれど。

日々目にするものの中にはやっぱり、現状に甘んじてる人がたくさんいて、自分の成長よりも誰かを蹴落とす方にベクトルを向けていたり、生まれかけた疑問に目を向けず楽な方を選んでしまっていたり、そういうのを見るとどうしても胸のあたりで何かがつっかえてしまう。

 

成長を喜べるってつまりその大元を好いていないと出来ないわけで、こういうところでやっぱり自分は人間が好きなんだなあって遠回しに実感させられたりもして、
けどベース的には人間であるあなたは好きだけど、あなたっていう個体が好きなわけじゃないからね。ってところもしっかりあって、自分でも誰かに対して抱いている感情の核的部分がわからなくなったりする。
友人家族恋人、それぞれの好きな理由、居心地の良い理由、会いたくなる理由、通じ合えてると思う理由、全ての表面にあるきれいに繕われたそれを剥がしたら、もしかしたら全ての真ん中にあるのは自分の醜いエゴだけで、ただただ性格の悪い人間なのではないかと、自己嫌悪してしまうこともある。
なにをエゴと呼ぶのか、なにを人間らしさと指すのか、線引きがまだ綺麗に出来ていないからだろうけど。

 

「自分にとって〇〇だから」

これは誰しもが対人関係を築く上で無意識のうちに脳が判断していることであって、良い意味でも悪い意味でもしっかり作動してしまうし、きっとそこで全員に優しくしよう、平等にしようと思ったら、全員のことを好きでも嫌いでもなくなってしまうんだろうな。


無理に嫌いな人を愛そうとすると、その分だけ大好きな人達を愛せなくなってしまう。
誰でも好きになれるってことは誰でも嫌いになれるってことで、
けれどそんな人が大事に出来る好きの気持ちってどんなもんなんだろうな。
って、不安になったりしてました。

不安になれるから、大事にしたいなとも思えるんだろうなと、深ーいところをちょっとだけ弾いて、あとはその他大勢の人間臭さを自分に擦り付けて、考えることをなあなあにして生きてたのが去年の後半。


答えは出ないけど、出るもんでもなかろうし、自分に対して疑心暗鬼でいられなくなったらもうそれは自己の消失だとも思うし、
三者の目を常に自分の後ろに引っ付けて置くのは堅苦しいようできっと大事なことなんだとも思うわけです。


疑える自分を信じて、その先に自信を持ってきて、くっつける言葉を選んで、
アウトプットラインが年々複雑になっていくけど、自分にしか作り出せないものが確かにあると思えるのは、生きていく上で何よりの力になるんです。

自分の生み出した感情を信じてあげることは、きっとそこに関わる人達を信じることに繋がっていくとも思うから。

 

誰かにもらったものを誰かに分け与えることができる人は決して多くは無いけれど、
日を重ねる毎に人間って素敵だなあって思えることが増えていってるので、ちょっと上手に生きていけてる気が、したりしてる。

 

 

 

 

 

 

 


一度、自分を亡くしてからもう少しで一年、
この街で受け取るおかえりの言葉が、温かくて恥ずかしくて、嬉しくて、愛(かな)しくて、
身の引き締まる思いで、新年を迎えられています。

 

 

 

 

年が明けました。
どうぞ今年も、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

まだまだ修繕中のアウトプットラインなので言葉足らずのちぐはぐですが、久しぶりの更新でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトルはちょっとやかましくしてみました。

 

 

空のまにまに

 

 

 

20〜22と、三連休をいただいて東京散策をしてきました。一ヶ月ぶり。
前に来た時はちょこっっっと肌寒いくらいだったのが、今回はしっかり空気が冷えてた。
夜のお台場を闊歩した日があったんですが、好きな空気の匂いがして嬉しくなりました。

 

 

 

今回のメインは留学へ行ってしまう友達のお見送り。お見送りと言っても空港とかではなく、遊んでご飯してまた日本でねーってご挨拶をば。

それ以外にも本当いろんな人に…会えた…隙間時間活用しまくった。
声かけながらも、難しい人もたくさんいて悔しかったけど。

 

いつものたくまスタイルに、東京時代の常連さんに、仲良しマイフレンドもご飯だけとか、1時間だけとかでも会えたし、幸せ。

元彼にも、元恋仲の人にも会ったよって友達に伝えたら皆口揃えて「なにしてんの?」って言うんだけど、仲良しなんだよ!!!
不思議な寂しさも生まれるけど、楽しそうでよかったって気持ちのが強いよね。
笑いまくった東京でした。

 

 

 

 

それに行く先々で、知らない人との交流があったのがとても良かった。

 

店先のでっかい熊の置物と戯れてたら、外国人のご婦人が後ろから「graaaa!!」って驚かしてきたり(してやったり顔してた笑)、
露店で一緒に品物眺めてた人と違う場所で会って話が弾んで乳酸菌キャンディ貰ったり、
行列に並んでる時に後ろの親子とお喋りしたり(お母さんのクセが良かった)、
観光スポットでは外国人夫婦とソレイイネ!!って笑いあったり(フォトスポットのカツラとかカツラとか)、
もーーーーーーーーーーーー、

 

 

好き。

 

 

 


昔よりイイコトの方に目を向けるのが上手になりました今平。
スイッチの切り替えが出来るように、ナッテキタヨ。

マダカタコトダケド

 

 


乳酸菌キャンディくれた人が、山梨出身で、東京の嫌な空気に嫌気がさしてもう帰りたいって嘆いてたんだよね。
「お二人(今平+友達)は雰囲気が違うから、東京人じゃないなって思ってたんです、話せて良かった!」
って言ってくれて、東京の濃いとこにそこそこ居たけどワタシソマッテナイネって嬉しく思った。

 

見方とか、見る場所とか変えてみたら、少しは気が楽になるのかもなって思ったよお姉さん。
嫌な空気に呑まれるんじゃなくて、自分で自分の周りの空気を作っていっちゃおうよ。光合成しよ。汚いもん吸っても綺麗なもんを吐き出そ。いつか気にならなくなるよ、大丈夫だよ。

今平も嫌なものたくさん見たけど、今見えてるものは大好きなものの方が多いんだよ。

 

 

 


最近は考えることを放棄してたけど、
いろんな巡りあいに改めて感謝したプチ遠出でした。

 

 

 

 

 

今平が欲しいものは、エニシをエニシとして、大事に出来る人達です。再認識。

最近今平を好きって言ってくれた人は、


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LINEの未読 3日目


とかって人でした。
無理です。(完璧なる愚痴)

愛し方も好きの形も人それぞれだけど、尊重し合えない形だったね。

 

 

 

 

 

あとカラオケで元彼が歌ってくれた、当時二人で大事にしてた歌に泣きそうになったトーキョーでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬来りなば、春遠からじ。

冬将軍に愛されつつある今平は、春の日の目を見られるのか…………

 

 


いざ冬眠!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

(寝るんかいってツッコミ待ち)