自由の檻

 

 

 

でかい休みが取れたから今しかないって事で帰省+旅行を楽しんでるんですが、やっぱり冬の北海道は最高でした。

コロナどうしようって気持ちは十二分にあったけど、普段2泊3日とかで帰って来れないんだよね、人生のターニングポイントをコロナに潰されるよりやっぱ行動したかったし、して大正解でした。

旅の良い所はこうやって何か書こうかな、って筆が伸びるとこだと思う。ちゃんとした暇を作れる。元の生活圏内に居ないおかげで何にも出来ないからね〜って気分になれて、リラックス効果大なんだろうな。

 

 

 

 


実家に帰ってきて一番嬉しかったことは愛くるしくて仕方ないベイブベイブベイブマイハニーに会えたことですね。

最後に会ったのいつだっけ?って感じだけど一緒に寝てくれます。かわいい。

1週間も経った頃には布団のど真ん中占領するようになります。あと寝返りに合わせて背後を陣取られるので、その後の寝返りが打てずに窮屈さに目を覚ましたりします。かわいい。

でもおやつの食べ過ぎで二回り三回りくらい大きくなってました。ちゃんとお散歩に行こうね。

 

 

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今回の旅行はバスで片道5,6時間かけて地元(田舎)からスィティー(街)の方まで向かったんだけど、そのバスの中から見える大自然に圧倒されて、来てよかった!とひたすらに感動を噛み締めてた。

 


普段過ごしている東京じゃ見ることのできない、奥の方まで幾つも連なった山々と、その山肌に生える木々に雪化粧が乗っかって、それはもう、ため息が出るほど綺麗だった。

反対側の窓を見れば、バスの前から後ろまでずーっと海が広がっていて、その奥にもどこかの山が霞んで見える。感動が落ち着くまであっちを見たりこっちを見たり、人間の目が一方にしか付いていないことを大いに悔やんだ。

開けた土地にはたまに家屋があったり、馬や、牛を育てている所があったりして、否が応でも自然の雄大さをひしひしと感じられる。ここで四季の移ろいを全身で感じられたらどれだけ贅沢だろうか。無いものねだりとも言われたけど、隠居するならやっぱり大自然に囲まれた場所がいいな。

 


一通り感動しきって思ったこととすれば、やっぱり人間は自然には敵わない、だった。こんなに壮大でこんなに力強くて、それでいて何もかもに平等で。人間の、というか自分のちっぽけさに嬉しくなる。何に悩んでも、何に勝っても負けても、還っていく先は自然の中のその先だ。

 

 


便利になり過ぎた時代で、自然から離れて、色んなものを得る代わりに色んなことを忘れてしまった動物が人間なんだと思う。

ああそっか、そうだったな、ってなんとなく感じることの出来る場所が、自然の中にあるんだと思う。

たくさんのビルに囲まれた中で、勝ち登って得たお金や人脈だけが豊かさではない。余裕と、その余裕を楽しめる心を豊かさと呼ぶのだと思う。無くしたものや新しい選択肢を考えることよりも、今持っているものにワクワク出来ることの方が大事だったりする。

お金の使い方、人との関わり方、自然での過ごし方、豊かな人はどうとだって上手に生きていく、そんな気がする。

 

 

 

 

 

 

今回の帰省の目的の一つは断捨離と、そして空いたスペースに新しいものを詰め込む為の準備だった。なんだか嫌なこと、がたくさんあったからリセットに丁度良かった。

息苦しい中で、同じように息苦しい人達とぎゅうぎゅうになって頑張ってた。息苦しくても自分で選んだものだから、ってちょっと無理をしたりして。

必要なかったわけではないけど、もっともっと気楽に生きていいんだなと思えたのは大きな収穫だ。後ろ髪引かれるような心残りもあるけれど、それはそれで何かの流れがまた色々を引き合わせたりするんだろう。

 

 

 

 


動物と違って、人間は群れれば群れるほど互いの足を引っ張っていく。あいつがあーだ、こいつがどーだ、どうでもいいようなことですぐ誰かの心を邪魔したがる。

そのせいで、これを言ったらあの人がなんて思うか、とか、別に悪くないけど自分が我慢しなくちゃ、とかどんどん卑屈になっていく。自分の中で生まれた、自分の感情そのものなのに、それを大事に出来ない場所にわざわざいる人がたくさんいる。

 


動物園で見た動物達は、檻の中でのんびりと餌を待ってた。繋がれて飛べないフクロウも、自由に駆け回れないライオンも、狭い水槽の中のアザラシだって、もっと自由に生きたいよなあと思った。でも彼らの知りうる世界はこの空間の中だけで、自分達の思う自由と彼らの自由は違ったりする。

自分達人間はどこにだって行ける足も頭もあるのに、何かに縛られてるせいで心を失くしてる。社会という構図だったり、煩わしい人間関係だったり、自分らしく在れる場所がなかなか見つからなかったりする。

 


誰かの為に生きたり、進みたくない道を進んだり、自分を失くしてまで大事にしなきゃいけないものって本当は無いんだと思う。

生きていることに理由なんてないし、元々生き物なんて何の為にも生きたりしていない、ただ生まれて死んでいくだけなのに、その中に何かを見出したくなる。

目標を立てたことで何かが枷になるとしたら、それはもう不自由さへの第一歩だ。人間は自分でも知らない内に狭い檻の中に入ってしまっていたりする。

 

けれど、自由に出れもする。それに気付けなくさせるような社会や人付き合いの仕組みが、文化の発達と共に出来上がりつつある。

人間を檻に入れられるのは人間だけである。ってどこかの偉人が謳ってたりしないかな。

 

 


生き方なんて簡単に変えられたりする。必要なのは檻を出るたった一歩で、その先の自由の中で何を見つけたっていい。

大事なのは持ち過ぎないこと、自由を見失わないこと。そして本来自分が持っているはずの豊かさを忘れないことだろう。