かくとだに
プロの言葉を引用するのがきっと一番伝わりやすいので、まずは引用から始めます。
ざっくり言うと、子供の頃の親との関わり方が原因で、大人になっても人との関わり方が上手くいかなくて苦しいねっていう、愛着障害の話です。
親しみやすいとっかかりを挙げるとすれば、"推しの子"の星野アイなんかも愛着障害が一つのキャラクターモチーフなんじゃないかな、と思います。
"NARUTO"の主人公であるうずまきナルトも、アカデミー入学前後の幼少期の描写ではその傾向が強く見られます。
愛着障害は子供の頃に出来る処置と、大人になってからの処置はまた違ってきます。無自覚の人もいれば、なんとなく生きづらいなと思っても答えに辿り着けない人もいます。
自分が発信するのは、自分自身へのけじめと、同じような苦しみを持って生きている人への気付きとなればいいなと思うからです。
下記、二つのクリニックから引用しています。
一つ目
愛着障害とは、養育者との愛着が何らかの理由で形成されず、子供の情緒や対人関係に問題が生じる状態です。
主に虐待や養育者との離別が原因で、養育者と子供との間に愛着がうまく芽生えないことによって起こります。
・人への基本的信頼感の芽生え
子どもは特定の養育者との間に愛着を築くと、その養育者に甘え、依存するようになります。養育者に甘え、受け入れられる。このようなやりとりを通して、人とかかわる楽しさや喜びを体験することが出来ます。
・自己表現力、コミュニケーション能力
愛着を形成した相手に対して、自分の要求を伝える、また時には相手の要求を受け入れるということを通して、子どもは自分が求めていることを表現することの楽しさや難しさを知ります。これにより表現力やコミュニケーション能力の向上が期待できます。
・自己の存在と安全の確保
子どもは不安や危機を感じた時に、愛着の対象者を「安全基地」と見なして、自分の身を守ろうとします。
安全基地とは、自分の見知らぬ世界に対して好奇心を抱き、それらを探索しようとする時に、子どもが拠り所とする存在を指します。
自らの好奇心のもと、見知らぬ世界を探索したときには、不安や恐怖、心理的・身体的苦痛を感じることがあります。そんなときに安全基地へ戻って、安心感を得るのです。子どもはこのような探索と避難をくりかえすことよって好奇心や積極性、ストレスに耐える力を身につけていきます。
大人の愛着障害とは、これらをきちんと経験出来ずに、精神的歪みが正されないまま成長してしまった状態を指します。
対人関係
・過度に従順になったり、顔色をうかがう
・期待に応えられない自分をひどく責める
・人とほどよい距離がとれない
・恋人や配偶者、また自身の子どもをどう愛すればいいかわからない など
対人関係の面では、第一に愛着障害の原因をもたらした養育者に対しての態度に症状が見られることがあります。
養育者に激しい敵意や恨みをもつことで反抗的な態度を取り続ける。反対に親に従順すぎるほどの態度を取り、大人になっても親に言いなりになってしまっているというような症状が表れます。
また、子どもの場合と同じように、人とほどよい距離を保つことができない、恋人や配偶者、そして自分の子どもに対してどのように愛情を注げばいいかわからず、関係づくりに苦労することがあります。
愛着障害が引き起こす疾患
大人の愛着障害が他の疾患の発症原因になってしまうことがあります。
・うつ病
・心身症
・不安障害
・境界性パーソナリティ(人格)障害 など
このように、愛着障害がある大人は生活を送るうえでさまざまな困りごとが起こるだけではなく、二次的に他の疾患を引き起こすこともあります。ですが、大人になってからでも工夫次第では症状をやわらげることができたり、困りごとを克服できたりすることもあります。
大人になってからの愛着障害の治療法
最も大切なこととして、幼少期に満足に得られなかった、愛着形成のための愛情深いスキンシップやコミュニケーションを補ってあげることが挙げられます。大人になってしまうと実の親と子どものころのように密にやりとりをする、ということが難しいかもしれません。その場合は、恋人やパートナー、教師や友人などとのやり取りが愛着障害の克服の第一歩となることがあります。
また、職場など対等な人間関係をつくることができ、自分の存在価値が認められるような環境に身を置くことや、自分が「理想の親」のような存在となって後輩を指導するということもアイデンティティの確立や自信をもつことにつながり、結果的に愛着障害が改善していく可能性があります。
http://www.madreclinic.jp/pm-top/pm-symptom/pm-symptom-21/
二つ目
愛着障害とは、幼少期の愛着形成に何らかの問題を抱えている状態をいいます。
愛着とは、医学的には「特定の人に対する情緒的なきずな」を表します。
重要なのは、スキンシップを与えてくれる人が特定の人であることです。
多くの人にかわいがられるのは幸せに見えますが、深い愛情をもってスキンシップを取ってくれる特別な存在が必要なのです。
愛着障害は幼少時の環境が原因となっているため、薬物療法や認知療法などで治していくものではありません。
愛着障害によって、その二次的状態であるうつ病や適応障害を発症している場合や、依存性・回避性・境界性のパーソナリティーの人に対しては薬物療法を要することもありますが、どれだけ行っても根本的な解決には至りません。
なぜなら、愛着障害は克服するものだからです。
不安定な愛着スタイルの人が持つ愛着の傷の修復には、「安全基地」の存在が重要です。
「安全基地」とは、自分がつらいときや不安なとき、満たされたいときなどに、心理的に安心できる「人」や「場所」のことをいいます。
そこにいれば、自分は守られている、安心していられると心から思える居場所を確保するのです。
「安全基地」を得て、心が十分に満たされ、「そこに自分がいてもいいんだ」という自負が芽生えると、無意識のうちに心の奥に引っ込めていた自分自身を表に出せるようになっていきます。
人との付き合い方のスタイルもおのずと変わり、少しずつうまく付き合えるようになれば自信につながり、自己肯定感が育っていくのです。
愛着障害では、幼少時に満たされなかったことを成人しても引きずっていますので、その満たされなかった気持ちを補っていくのが理想的です。
心療内科を受診する、うつ病や適応障害、不安障害、あるいは依存性・回避性・境界性のパーソナリティーの人は、 心の根底に愛着障害が潜んでいることがよくみられます。
このような人たちには、その二次的状態であるうつ病や不安障害などの治療だけをどれだけ行っても根本的な解決には至りません。
根本にある愛着障害の克服に目を向けていくことが大切なのです。
https://yokohama-tsuzuki.jp/aichaku.html
以上が大まかな説明です。
一言で愛着障害と言っても、一番厄介だなと思うのはそれが根本にあるせいで、人それぞれ色々な悩みや精神的疾患を引き起こす事だと当事者なりに思います。
自分の場合、家を出る15の歳までクソ親父に殴られ続けていたのが原因です。椅子やバットで子供を殴り続ける親が世界には確かにいて、その子供がどうして自分なんだろうなとよく思っていました。母の連れ子だったんで可愛くなかったんでしょうね。
そして家庭内が上手くいかないと母親は自殺を図るので、どれだけ殴られてもつらくても、自分は大丈夫だと気丈に振る舞うしかありません。甘え方も頼り方も教わるチャンスすら無く、常に気を張る生活が続きました。
そんな中、あからさまに可愛がってもらってる弟(実子)に時折嫉妬はすれど、大事な弟が殴られてほしくないので一生懸命生贄になります。
自分が居なければこの三人で綺麗な家族として成立するのでは?と思うようになり、写真にも写らず、旅行にもついていかず、一人で過ごす事を選び続けます。この頃から、一人のプロ。
子供の頃の記憶、全然無いです。無くてよかったとも思います。(今は離婚して母と弟ともちゃんと仲良いです。)
そうやって家族は勿論、友人、恋人、職場の人間、全ての人間関係において、ずっと悩んできました。
必ず一線を引きます。三本線くらい引くかもしれません。相手を大事にしたいと思えば思うほど、自分の在り方について悩みます。
必ず相手にとってどんな自分で在ればいいか悩んで、考えて、演じてしまって、自分で演じたにも関わらず演じ続けることに疲れて、また、演じている自分が好かれるほど演じていない自分は好かれないだろうと自己嫌悪して、人と関わることに疲れていきます。
特別仲良くなれても、どれだけ精神的に甘えたり大事にしたり、近付いてもいいのかわからなくなって落ち込みます。適度に楽しく仲良く出来ている他の友達が羨ましいなと思ったりします。友達にヤキモチを妬いてしまうので、友達を作るのを控えるようになります。妬いている自分が嫌になってしまうんです。
ストレスから自律神経を壊して、十何年来の不眠や過眠に悩み、それも相まって仕事や友人らとの信頼構築が難しくなり、まともな信頼関係を築けなくなります。こういった弊害が、愛着障害の一番厄介なところだなと思います。
ありのままの状態で向き合う方法を知っていれば、向き合える人がきちんといれば、また何か変わったんでしょうか。
6年前、自殺を図った時はやっと解放されると思いました。
仕事もうまくいかない、まともな交友関係も築けない、みんなどうして楽しそうに生きていられるのかわからない。
けどそんなのもう何も気にしなくていい、ありのままの自分で死ねる、それが何より嬉しかったことを覚えています。
救助され(山だったので)、閉鎖病棟に運ばれて、生きていかなきゃいけないんだと思った時、やっと自分の生き方と向き合いました。
けれどその時はまだ表面的なものしか考えられず、奥底にあるこの愛着障害まで触れてはいませんでした。
どうしてこうなったのか、まで辿り着かず、けれど根本的解決にはなっていないんだろうなと思いながらずっと暮らしていました。
生きるとは何かも、死ぬとは何かも、何も考えずに暮らしていられる時こそ幸福なのかなと思います。
こんな下手くそな生き方をしているのを見てわかるように、
大人の愛着障害は、引用の通り安全基地を築くことが一番の解決策であるんですが、安全基地を改めて築くことの難しさが安全基地を築けなかった為に発生しているという、なんとも酷く悪循環な性質をしています。
"安全基地を改めて築くことの難しさが安全基地を築けなかった為に発生している"、ここら辺で脳も口もモニョモニョしますね。
「あっこの下手くそさ、ちょっと親近感がある…」と思った人がいれば、少し向き合ってみてもいいかもしれません。
(11.3 追記 Twitterに載せた本がめちゃくちゃわかりやすかったです。異なるタイプの愛着障害同士が一つのコミュニティで知り合い、お付き合いしていく中でそれぞれの特性と向き合うお話です。文章での解説もしっかりあるので、これまでの自分の生きづらさや失敗の原因や仕組みに気付けます。ただしでかい後悔とも向き合うことになりました、自分は。)
こうやって考えていく内に気付いた事で、悲しいこともありました。
それは自分が安全基地を欲している立場なのに、俺が人にしてあげられる一番の愛情表現が「相手にとっての安全基地になること」だったということです。
自分が心の奥底で必要としていたものを、
自分は必死になって相手にあげようとしていたんだなと思った時、酷く悲しいというか、虚しくなりました。おかしさもありました。
得たことのないものをあげようとしてたってことは、自分のしてきた愛情表現って全部見様見真似のハリボテだったのでは?と思ってしまったことで、今までの生き方を疑う余白が出来てしまったのです。
皮肉めいてると思いました。
自分自身嫌な経験をしている分、相手がいて、その機会を得られるのであれば、自分の愛情だけはきちんと真っ直ぐ伝えようと誓い続けてきたはずなのに、自分の中に確固として持ち続けてきたものすら揺れてしまいました。
どうしてそこまでして向き合うのか、向き合おうと思ったのかというと、
好きな人に振られてぐちゃぐちゃになり、そのぐちゃぐちゃ加減が酷すぎて、こんなに心が壊れそうなのはどうしてなのか、壊れないためには知るしかない、自分と対話していくしか無いと思ったのがきっかけです。
人に一線を引く分、普段なら切り替えも早いのですが今回は全然違いました。自分でも驚くくらい悲しくて、外にも出られず仕事も休んで、いつまでも泣いてました。今も外に居ると落ち着かないです。
少し経って、心の動き、自身の特性を考えて、愛着障害について調べるうちに、
その人の存在が、初めて出来そうな安全基地だったんだなと、そこでようやく気付けました。
何故あんなに嬉しかったのか、何故あんなに幸せだったのか、
事あるごとにそのままでいいと言ってくれ、甘えさせてくれて、甘えてくれて、泣かせてくれて、自分で思っていた何倍も何倍も拠り所になっていました。
素直に向き合うをモットーにしていたにも関わらず、また、相手も素直で居る事を許してくれていたにも関わらず、
その時間を失いたくなくて、自分の歪さを頑張って隠しました。見透かされるのが怖くて我儘にもなりました。不安と寂しさを怒りに変えてしまいました。ちゃんと大事に出来なかった、恥ずかしくて、情けなくて、後悔しかありません。
寄りかからないように自制するのではなく、作るのではなく、歪なら歪なままで、ちゃんと向き合えばよかったんだと思います。相手がくれた機会を、自分の手で駄目にしてしまいました。
その時その時、自分なりに必死に送ったメッセージを見返しては、自分が醜く、憎く、そして申し訳なくなります。
ぼろぼろだった頃、友達が言いました。
どれだけ好きでも、どれだけ一緒にいたくても、何かが今はダメだと言ったんだと。
神様がNoをたたきつけたんだ、と。
思い出したその言葉がスッと胸の中に落ちました。今の自分じゃ誰も幸せに出来ず、そして幸せにしてもらう準備すら出来ていなかった。
やっと、やっとでした。願わくば、好きな人が向き合ってくれている時に、気付きたかったです。
その人が生きてきたその人に惚れて、そのおかげで、自分の中身と向き合えました。
たくさん悩ませて嫌な思いをさせて、自分は何もしてあげられないまま、最後までこの人に与えてもらっている。
心から、感謝することしか出来ません。
このひと月、何を聴いても何を観ても、誰と居ても話しても、何もかもが代わりになってしまっていると思って、全てを止めてました。DMもLINEも開かずごめんなさい。
何かがそこに在ることで、無くなってしまったものがあることを嫌でも実感させられました。泣いても笑っても、次の瞬間には思い出してしまう、それがまだ堪らなく悲しくて、何とも向き合えませんでした。
たぶん、安全基地撤去作業中なんです、
初めて作ろうとしたもんを初めて撤去してるんです、現場もてんてこまいだと思うんです。初めてだから、見積もりとか出せないんです。
どうか許してください。
長かったようであっという間の10月、イレギュラーもたくさんありました。
職場では客が自殺したり、小火騒ぎがあったり、新体制に備えて何度も面談して、後輩に何度も説教して、教育とは…って悩みながら、余計眠れなくて職場に缶詰めになったりしました。
そうやって寝ずに仕事してたら久しぶりに潰瘍と再会したり、起き抜けに頭痛で吐いてMRI入れられたり、血液検査の結果も遺伝性のものでこっそり入院したり、頑張って生きてました。
眠れないし耳は聞こえないし、結構しんどくて、好きな人と一緒に行ったお店の領収書がお守りでした。支えがそれしかありませんでした。気持ち悪いって言わないで。お願い引かないで(必死)
いや気持ち悪いよね。でもそれだけが、残った安全基地の欠片でした。
そうして十二指腸に悪いと思いつつも寝酒にしていたテキーラが空になった頃、昔の同僚である友人が亡くなって関東まで飛びました。飛行機に乗ってる時の方がもしかして身近にいるんじゃないのか、などと思いながら本州の地に降り立って、帰りの飛行機でもやはり同じことを思いました。
どこにも居なくなって、思い出した時にここに居てくれる。けれどやっぱり、笑った顔が見たくなります。声が聞きたくなります。
帰って来た日、真っ青に澄み切った秋晴れが目に沁みて、寂しくて寂しくて消えてしまいそうになりました。会いたくなりました。友人じゃなく好きな人にです。薄情じゃないです。
人は誰かが居なくなって痛むのではなく、元から痛みはあって、その人が痛み止めになってくれていたのだと、そんな言葉を思い出しました。
必死に見ないフリをしていた痛みを、癒やしてもらっていたんだと思います。ずっとずっと抱えてきたものを、唯一降ろせる場所になってました、出会ってから自分は酷く弱くなりました。
泣き虫になったと思いましたが、元々、小さい頃はうんと泣き虫でした。愛着障害は、幼い時間をやり直していくんだそうです。
求めて、不安になって、認め合って、そうやって過去を克服していくんだそうです。自分は、何も知らない相手にただ我儘になっていました。自分も何も知らなかった、もっと自分のことを知って、もっとちゃんと対話出来るようになっていたらよかった。
こうやって後から何度も幸福であった事を実感して、その度に後悔が重くのしかかってきます。
「さっさと切り替えろやそんなんだからハゲんねんボケ頭が」「血の気の多い脳筋タイプだろお前ウジウジしてんじゃねえぞ」「寝たら忘れる楽観的なところが長所だっただろしっかりしろ」
そう自分に言い聞かせても、何も効かないです。あの日からずっと悲しくて、どこにも行けないまま、空っぽの安全基地を眺めているだけ。そんな毎日でした。
余計なことをつらつらと書き過ぎました。
伝えたかったのは、生きづらさを感じている人がいれば、自分自身と向き合う時間をたくさん作ってほしいということです。
知ることで変えられることが必ずあります。自己嫌悪しなくていいよう、いっぱい備えてほしいです。本当に欲しいものは何なのかを、一番優先すべき感情は何なのかを、間違えないでほしいです。
最後に
俺と似た環境で育った人、
今誰かを大事にしたい人、
自分が嫌になってしまう人、
俺みたいな人と今向き合ってる人、
一生懸命自分と戦ってる人、
自分を好きになりたい人、
大丈夫、とは言えませんが、同じような失敗はしないでほしいです。
ちゃんと大事にして、
ちゃんと向き合ってください、自分とも相手とも。
指一本で出会えもすれば、お別れも出来てしまうこの世界で、ただでさえ人間関係が希薄なこっちの世界で、
大事にしたいと思える人が出来たら、等身大でぶつかってください。お互いを認め合って、後悔の無い選択をしてください。SMSを安全基地にしちゃダメです、ちゃんと、人と話してください。
たくさん人を頼って、
たくさんの言葉を交わして、
たくさんの大事な時間を作ってください。
そこに生まれた優しさが、
巡り巡って大事な人に届いたらいいなと、
またそれが巡って、大事な人の大事な人も、
みんなみんな幸せになれたらいいなと、
心から願っています。