無題

 

下書きが全て消えてしまいました。Twitterの。割とというか、それはもうめちゃくちゃに溜め込んでたので結構衝撃があります。

自分自身の容量が少ないので、そういったところに外付けとしていろんなものを溜める癖があるんですが、それらがポッと消えてしまうと自分自身の何かを見失ってしまう感覚にもなります。Safariのタブとかもそう。(笑)

どこにも吐き出せない言葉や、吐き出す事で消えてしまう言葉、誰かに触れる事で色が変わってしまう言葉、いろんな種類の言葉があります。内から外へ出るということの意味は多岐にわたって、どの意味をなぞるべき言葉なのか、どの意味をなぞってしまうから出すべきではないのか、考えながらいつも呟いたり、書いたり、下書きに閉まったりしてます。

ここ数ヶ月は泣き言が大半でした。少し元気の出てきた頃に見直すとそれはもう、なんというか、頑張ってた痕跡ですかね、今の自分がいるのは過去の自分のおかげなので、ありがとうと思います。

頑張れなかった日も、消えてしまいたい夜も、全部ちゃんと覚えてます。朝焼けを見て泣いてました、雲間から差す光に励まされてました。雪の溶けていく川を見て、消えてしまうのは簡単だなと思いました。

まだ戦えるので戦います。戦い方は模索中です。

 

 

 

 

 

通された席の目の前に彼の名前が書かれたボトルがあって、ほんの少しだけ時間が止まりました。
数ヶ月前、その名前の下には自分の名前が一緒に書かれていて、飲み屋ではこんな形の嬉しさもあるんだなと背中のあたりがむず痒くなったことを思い出しました。
彼の名前の下の、なんでもないその空白が自分の心を写しているようで寂しくなりました。でも不思議なことに口角は上がるんです。彼が楽しく飲めているのなら、それが一番嬉しいと思いました。図々しくもそう思うことだけは、今はどうか許されたいです。
会えないでいる頃、一人で飲みにきて、新しく入れたボトルに二人の名前を書きました。カウンターの上にそのボトルが置かれる事は無かったけれど、その一つの祈りがこの地球上に生まれた事実を、まだ忘れようとは思えないです。

少しずつ進みます。振り返れば、今までそこに無かった、安全基地があります。