無題

 

事細かな表現の出来る日本語が心から好きだ。ミリ単位で色々なものに名前がついているように思う。丁寧で、きちんと選ばれて作られてきた言葉達。

けれど最近はいろんな意味が内包されていて、場面にもよりけりだけど受け取り手の感受性に頼る英語に助けられてる。発信側も抱えた気持ちを崩し過ぎずにそのまま吐き出せるような。

 

I miss youの言葉に救われてる。大雑把であったかくて寂しい気持ち。この寂しさは虚無感を含んだ恋しさだと思う。寂しいほど不明瞭でブルーじゃない、もっと前向きな感情。

ぽっかり空いた心の穴に、体が内側に吸い込まれそうになるけど、それでも悲しむ事が失礼に思うほどに、貰ったものが多すぎる。空いた心の隙間があったかい。たぶんそこにあったものがちゃんとあったかかったから。

 

初めて手にした安心感はもうどこにも無いけど、ここにあったって事実が、苦しくて哀しくて、嬉しくて、悔しい。感情が迷子になる。

全てが惜しく感じて、この感情がきっと愛おしさに昇華するんだなと思った。いと惜しい気持ち。昔の人が紡いできた言葉の綺麗さに、たくさんの人が救われてる。

 

 

 

自分の中身がぶっ壊れてた事で、そういえば誰のことも恨んでいないなと思った。ぶっ壊した張本人のクソ親父のことも、評価は変わらないけど何も思わない。今更思ったって、って気持ちの方が強いか、それに結局失敗したのは自分自身。誰かを恨む暇があったら自分の中身を見つめ直したい。それこそ強くなりたい。ちゃんと大事なものを大事に出来るようになりたい。

 

誰かを恨む自分じゃなくてよかったと思った。自分の生き方、そこはちゃんとしとったやん、って嬉しくなった。

頑張ろうね俺。一生懸命は得意じゃんね。